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『峠 最後のサムライ』宣伝特使に、林修先生が就任! 「いつやるか? 今でしょ!」と河井継之助には意外な共通点が!?『峠 最後のサムライ』宣伝特使に、林修先生が就任! 「いつやるか? 今でしょ!」と河井継之助には意外な共通点が!?

この度、映画『峠 最後のサムライ』宣伝特使に、林先生が就任いたしました。
河井継之助の大ファンである林先生が、映画の見どころを余すことなくお届けします。

〈ご視聴は下の動画をクリック〉

また、林先生による本作のスペシャル解説動画を、現在公式YouTubeにて公開中!
林先生の継之助への強い想いだけでなく、迫力ある本編映像も盛り込まれ、実在した“最後のサムライ”河井継之助の魅力と功績に触れることのできる、贅沢な15分となっています。
更に、林先生と言えば、『2013 ユーキャン新語・流行語年間大賞』を受賞した「いつやるか? 今でしょ!」でも有名ですが、この言葉に込めた想いと河井継之助の意外な共通点も、動画内で明らかに!
是非、本解説動画をご覧いただき、司馬遼太郎が最も描きたかったサムライ・河井継之助の「最後の戦い」を描く映画本編を劇場でご鑑賞ください。

林修先生コメント
映画「峠」~河井継之助に思う

河井継之助は、地元の長岡でさえ、評価の分かれる人である。
いつの間にか「ラストサムライ」と呼ばれるようになった彼は、武士の義を貫き通した。時代の変化を理解できずに、頑迷に武士の世にこだわったからなのか? それは違う。若くから広く世にも学び、卓越した見識を備えていた彼は、武士の世が終わることを見抜いていた。にもかかわらず、武士としての義を通したのだ。
では、彼の軍師としての作戦に問題があったのか? 彼は奪われた長岡城を、一旦は奪回している。一度落ちた城を取り返すなど前代未聞だ。その際に彼が敢行した八丁沖渡河作戦は今でも高く評価されている。つまり、彼の軍師としても傑出した才能を持ち合わせていたのである。あえて言えば、焦土作戦を決行し、持久戦に持ち込むなかで南国の出身者が多い西軍を越後の豪雪に追い込むべきではなかったかという批判は可能かもしれない。しかし、それを実行していれば、図りしれない犠牲が生じていたであろう。僕よりもずっと彼について詳しかった、河井継之助記念館の稲川明雄館長は、生前何度かこうおっしゃった。「彼は情の人だった」—。

それだけではない。米の売買や為替差益によって軍資金を確保するなど、経済感覚にも優れ、政治的には「独立特行」という先見的な理念を抱いていた。
今まで何度も彼の生涯の軌跡をたどってみたが、どうしても彼の非が見いだせないのだ。しかし、現実に彼は、「八十里 腰抜け武士の 越す峠」と自嘲の句を詠み、戦場での傷がもとで長岡を離れた只見で生涯を閉じた。そのうえ墓まで何度も壊されているのだ。
西軍の要求を受け入れ、軍費を払って兵を出せば、長岡は素通りされて焼け野原にはならなかったかもしれない。彼自身も勝海舟のように新政府に入りこんで、勝以上の要職を得ていたかもしれない。何しろ飛び切り優秀な人だったのだから。

しかし、それは盟友会津を裏切るだけでなく、その討伐の先兵の役を果たすことを意味していた。彼は、そんな利に走った選択をするような人間では断じてない。

根本にあるのは、長岡の地政学的な位置なのだ。西軍のメインターゲットが会津である以上、無関係ではいられない。継之助にはどうにもならない話だ。

彼は、二百六十年も続いた武家政権が崩壊するこの時期の、長岡という場所で、武士として生まれてしまったのだ。自らの力ではどうにもならない運命が、いくつも折り重なって彼にのしかかった。運に恵まれなかったという印象は拭いきれない。しかし、彼はその運命に正面から向き合って生きた。どうにもならない巨大なものを前にして、自分の力で動かせるものは全て動かし、命まで投じたのだ。この真摯で、苛烈な生き方が、僕をこのうえなく魅了する。そして、自らも、自分の力で変えられることは、全てを出し尽くして変えなければならないと自戒している。今の時代、命まで奪われることはないのだから。

林修(東進ハイスクール 東進衛星予備校 現代文講師)