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制作日誌

『峠 最後のサムライ』映画化の経緯

作家・司馬遼太郎が、幕末の〝知られざる英雄″河井継之助の生き様を描いた長編小説「峠」の初映画化『峠 最後のサムライ』。小泉堯史監督が、この小説と出会ったのは、「峠」が毎日新聞に連載されていた頃(1966~68年)のことだった。継之助が、常に太陽に向かってまっしぐらに飛ぶ鴉が好きだという描写が印象に残り、いつか映画化したいと思っていたという。そして、『蜩ノ記』(13)の後、あらためて小説を手に取り、最初に読んだのが司馬のあとがきだった。「幕末期に完成した武士という人間像は、その結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思う。(中略)~この『峠』において、サムライとは何かということを考えてみたかった。その典型を越後長岡藩の非門閥家老河井継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している」(「峠」あとがきより)

小泉監督は「司馬さんが描こうとした美しいサムライ、河井継之助に会ってみたい」と脚本を執筆。企画の具現化にはなかなか至らなかったが、脚本執筆中から継之助役にイメージしていた役所広司へ脚本を送ったところ、「是非やりたい」という熱い気持ちのこもったファックスが届き、映画化を後押しすることとなった。

脚本作業

自身の監督デビュー作で、長年師事していた黒澤明監督の遺作シナリオを映画化した『雨あがる』を除いては、すべての監督作品で脚本も務めている小泉監督。映画の題材を選ぶ基準は、「その物語の登場人物に会ってみたいかどうか」。『阿弥陀堂だより』のおうめ婆さん、『明日への遺言』の岡田中将、『蜩ノ記』の戸田秋谷、そして今回の河井継之助もまさにそういう人物だった。執筆にあたっては、「峠」はもちろん、監督が愛読している「葉隠」(山本常朝)、「武道初心集」(大道寺友山)や、継之助が読んだであろう中国の古典「呻吟語」(呂新吾)、「伝習録」(王陽明の言行録)などにも目を通し、イメージを膨らませていった。

「どの作品でも、できるだけ原作に寄り添い、その時代の人と共に生きたい、という思いを強く持って執筆しています。司馬さんが描きたかったことを外さないように、司馬さんが掴まえようと思った河井継之助という人物を、言葉を大切に彫りこんで明確にしていく作業になりました。江戸の後期に生きたサムライはどういう人だったのかと想像しながら書くことが僕にとっての楽しみでした」(小泉監督)。

豪華キャストが勢ぞろい

かつて黒澤明監督がキャストのアンサンブルをオーケストラにたとえたように、いくら上手い役者でも、その作品から浮いてしまっては意味がない。小泉監督もキャスティングの際に、作品およびスタッフ、共演者同士の相性を大切にしている。今回は、今までに何度も起用してきた小泉組常連と呼べる役者陣に加え、信頼するスタッフからの推薦を受けて出演を依頼した役者陣が、素晴らしいコラボレーションを見せている。

継之助を信じ、支えるおすがを凛とした佇まいで表現した松たか子は、小泉組初出演。着物の着こなしや、時代劇ならではの所作も見事だが、小泉監督が特に絶賛したのが、カンカン踊りの手先の美しさだ。振付・指導を担当したのは、黒澤明監督作『夢』以来、黒澤組や小泉組に参加している舞踊集団「菊の会」。松は役所とともに、撮影の約半年ほど前に踊りの映像を渡され、練習を重ねた。撮影は、ロケ地に使われるのは本作が初めてという、新潟県小千谷市のかつての豪商の家・西脇邸で行われた。継之助、おすがが芸者とともに踊る姿をテストから嬉しそうに見つめていた監督。本番は一発OKとなったが、「踊り足りなければもう一回やりましょう」とお茶目な笑顔を見せた。

長岡藩の前藩主・牧野雪堂を演じる仲代達矢は、小泉監督作品へは『雨あがる』以来の出演となるが、小泉監督が助監督を務めていた黒澤明監督作品で何度も一緒に仕事をしてきた間柄。仲代が主宰する無名塾の塾生だった役所との師弟共演も見どころとなる。長岡藩藩邸の上段の間で繰り広げられる、二人の共演シーンは、新潟市にある豪農の館・北方文化博物館の約百畳におよぶ書院造の大広間棟にて、ピンと張りつめた緊張感の中、行われた。

継之助の願いを聞き入れず、長岡藩を戦へ向かわせることになる土佐藩士・岩村誠一郎役には吉岡秀隆。小泉組のスタッフは黒澤組時代から吉岡のファンばかりで、「今まで演じたことのないタイプのキャラクターを演じてもらいたい」との意図があった。さらに、香川京子、田中泯、永山絢斗、芳根京子、坂東龍汰、榎木孝明、渡辺大、AKIRA、東出昌大、佐々木蔵之介など豪華キャストが作品を盛り立てる。その誰もが小泉組への参加を喜んだ。

黒澤組スタッフ結集

本作ではこれまでの小泉監督作品と同様、黒澤組ゆかりのスタッフが結集。撮影の上田正治、北澤弘之、美術の酒井賢、照明の山川英明、録音の矢野正人、編集の阿賀英登、衣裳デザインの黒澤和子、俳優担当の鈴木康敬、殺陣の久世浩、助監督の酒井直人、音楽の加古隆などが小泉組に欠かせないスタッフとして監督を支えている。

スタッフそれぞれが持っている経験が重要なのだと小泉監督は言う。「たとえばカメラひとつとっても、メインカメラの位置が決まったら、Bカメラはここだとわかってくれている。ずっと黒澤組で一緒にやってきてお互いを知り合っているのは強みだと思います。ただ、スタッフは高齢化しているし、僕より年上のスタッフもいる。この作品を一つの集大成にして、黒澤さんに対していい報告ができたらと思っています。ほめられたら嬉しいですが、まあ良しとするか、と言っていただけるよう、みんなで頑張っています」
そんな小泉監督をスタッフ陣は、「自分の撮りたいものしか撮らない。そこが偉いなと」(撮影・上田)、「すべてに穏やかで謙虚な人。でも芯がある。奥行きを感じる話に美術のイメージも膨らみます」(美術・酒井)、「自分がこうと思っていることは曲げない、自分の信念を曲げない方」(殺陣・久世)と語る。そんな監督の人柄が作品にも表れているのかもしれない。

ロケーション

脚本執筆の際に、イメージが制限されるのを避けるため、シナリオハンティングはまったくしないという小泉監督。一方で、ロケーションハンティングは粘り強く行う。今の日本で時代劇を撮るうえでは、巨大なセットをいくつも組むのは予算的に難しく、いかにいいロケ場所を見つけるかが重要。本作にふさわしい場所を探し求め、新潟のほか、長野、茨城、京都などで撮影を行った。

本作は、2018年9月19日、京都の西本願寺にてクランクイン。国宝の書院を二条城の大広間に見立てて、徳川慶喜が大政奉還を諸臣に諮問するシーンを撮る。撮影は、これまでの小泉監督作品同様、近年の映画の現場からはほぼ姿を消しているフィルムカメラを2~3台使って行う。セッティング後、小泉監督がそれぞれのファインダーを順にのぞき、アングルを確認。リハーサルが始まる。徳川慶喜役の東出昌大は、事前のホン読みや、監督から渡された歴史書「徳川慶喜公伝」(平凡社)などから、キャラクターを掴んでいる様子。テストがあり、本テストがあり、そして本番。7分以上の長回しの撮影となったが、丁寧に言葉を紡いでいく慶喜。この日撮るのは引きと寄りの2カットとなったが、引きは本番2回目、寄りは1回で監督のOKが出た。午前11時から始まった撮影は1時間半ほどで終了し、上々の滑り出しとなった。

主なロケ地となった新潟では、豪農の館で多く撮影している。その中の一つが、国指定重要文化財に指定されている、新潟県関川村の渡邉邸。テレビドラマ「蔵」(NHK)をはじめ、数々のドラマや映画の撮影が行われた場所で、ここでは『阿弥陀堂だより』以来の小泉組参加となった香川京子が参加し、河井家の縁側のシーンなどが撮られた。オルゴールのシーンでは、ミタカ・オルゴール館より、当時のスイス製の貴重なものをお借りして撮影している。

ロケ地選定に難航したのが、継之助が長岡城奪還のため藩兵を率いて渡河し、奇襲を仕掛ける八丁沖のシーン。最終的に、長岡から車で約一時間のところにある佐潟に決定したが、白鳥が飛来する地であり、そのシーズンを避けての撮影となった。ナイトシーンだが、広範囲のライティングが不可能なため、黒澤明監督の『用心棒』やアメリカの西部劇などの手法と同じく、「つぶし」と呼ばれる疑似夜景の技法を使い、昼間に夜のシーンを撮った。

朝日山のシーンは、実際の朝日山古戦場で塹壕跡を掘り返して撮影しており、当時の空気感がよみがえる。どのロケ地も、作品において重要な役割を果たしている。

調練場ほかオープンセット

長岡藩の調練場は、信濃川沿いの河川敷に、約1か月半かけてオープンセットが造り上げられた。これは当時の資料をもとに設計されたもの。美術の酒井は語る。「長岡藩の史料に『兵学所』(脚本では『調練場』)の絵図を見つけました。それを参考に史実に近く、何よりも演出のできる場であるようにセット設計図を作り、監督と数回打ち合わせを行いました。製作は河川敷の畑、上段と下段の二枚を借りて、地元の建設会社で整地と土塁(砲術の的)の構築をしました。川に向かって高低差のある地形はすべてに効果的でした」

この調練場にて、継之助が川島億次郎に、戊辰戦争における長岡藩の秘策について明かすシーンが、役所広司の最初の撮影だった。役所と、億次郎を演じる榎木孝明は前日に同所にてリハーサルを行っており、撮影は順調に進んだ。二人が話す傍で兵士たちは訓練を続けているが、その姿が画面の厚みとなっている。撮影の上田は言う。「黒澤明監督は人物のアップを撮る時、写らないところにいる役者やエキストラもみんな芝居をさせたうえで撮影していましたが、小泉監督も周りのエキストラを動かして撮影する。特に、皆が訓練をしている後ろで継之助が話すカットは、今の日本映画ではあまり見られない映像だと思います」

山本帯刀率いる一個中隊がミニエー銃を携え、訓練を行っているシーンもここで撮影された。彼らが行うフランス式の訓練は、日本映画ではあまり扱われてこなかったが、スタッフがしっかりとリサーチを行い、軍事指導スタッフとともにマニュアルを作成し、実現させている。まずは久世率いる久世七曜会のメンバー数十人が、前もって軍事指導スタッフからレクチャーを受け、約150人におよぶエキストラに指導していく形を取った。撮影は、カットごとに普段の小泉組より多めの3回ほどテストを行い、本番は基本的に1回のペースで行われた。

長岡城の町口御門のセットは、茨城にあるワープステーション江戸に既存の大手門と櫓門を背景に建てられた。本建築のようなしっかりとした造りで、屋根部分は50トンのラフタークレーンで吊り上げて設置するという大がかりな作業を行った。また、ワープステーションでは、夜道で継之助が黒覆面の一団に囲まれるシーンなども撮影している。本作の殺陣について、久世は言う。「小泉監督は、ご自身が居合の段を持っているので殺陣に対してもこだわりがものすごくあります。ただし、良いものは良いと言ってくれる。黒澤明監督は一度やったことに対して、同じ手はしなかった。それを近くで見ていた小泉監督も同じで、常に新しい手がないかとたずねてくる。〝一発切り″を常に頭に入れつつ、複数の手がある場合、1回使った手はできるだけやらないようにして、可能な限り、変わった形で殺陣をつけることを念頭に現場に向かっています」

余談だが、継之助の家紋は「丸に片喰」だったが、本作では黒澤家の家紋であり、『椿三十郎』『用心棒』など黒澤映画の主人公が身に付けてきた「丸に剣片喰」をオマージュとして使用している。

クランクアップ

クランクアップは2018年11月22日。長野県飯山市の北竜湖資料館にある町家にて、継之助が最後にたどり着いた塩沢村の屋敷のシーンの撮影を行った。継之助と松蔵とのやりとりを撮った後、継之助が燃え盛る炎の中に消えて行くラストカットへ。どこで火を起こすか、どのぐらいの火の勢いを目指すのかを確認し、薪をセッティング。継之助の「火を盛んにせよ」のセリフをきっかけに火を強くし、松蔵が蒔を放り込んでいくという段取り。いつものようにテスト、本テスト、そして本番という流れで、1発OK。クランクアップとなった。〝理想のリーダー″たる河井継之助を演じきった役所は言う。「前回(『蜩ノ記』)と同じように、なかなか今の日本映画の中では経験できない撮影のスタイル、テンポを味わうことができました。継之助さんは立派な人ですよね。こういう立派な人間を演じることができるのは、役者の特権で、幸せなことです。監督をイメージして、ぶれない男の生き方を懸命に追っていこうと思っていました」

これまでに『雨あがる』で三沢伊兵衛、『蜩ノ記』で戸田秋谷というサムライを描いてきた小泉監督は、本作がその決定版と捉えている。「『峠』でサムライとは何かを考えてみたかった司馬さんが、書き終えて『その典型を河井継之助にもとめたことはまちがっていなかった』とおっしゃるわけですから、継之助はサムライのなかのサムライであり、本物のサムライを描きたいと思えばこの人を描けばいいのだろうと思っていました。サムライとして尊厳と誇りを持って美しく生きようと望んだ、そういう人物がきちんと掴まえられていれば、自分としては成功かなと思います」

取材・文 森祐美子